グラフィックデザイナーの本江です。
軽井沢在住で、よくウォーキングや散策を楽しんでいるので、今回は軽井沢のレーン(通り)について紹介したいと思います。
【サナトリウム・レーン】
【ヴォーリズ・レーン】
【ノーマン・レーン】
【近衛レーン】
【ロストボール・レーン】
【浅間隠しレーン】
・終わりに
●軽井沢のレーン(通り)とは
これまであまり気に掛けていなかったことだが、軽井沢を散策していると、レーン(通り)名が刻まれたステンレスの標示塔が、山のケルンのごとく置かれている。
「サナトリウム・レーン」や「ロストボール・レーン」はご存知の通り、他にも多くのレーン(小径)が縦横無尽に通っている。
かつて宣教師たちがピクニックの度に通る道々につけていた名前が、今もそのまま使われているところは微笑ましい。
少々脱線するが、日本人も坂道には好んで愛称を付けている。私が生まれ育った街「東京・文京区」もまた坂の多い街で、「団子坂」「解剖坂」「S坂」「妻恋坂」…23区の中でも極めて多いと記憶している。
名前も意味深だったり、その物語が見えてきたりと、いやが上にも興味が沸き立つ坂ばかりだ。
さて、軽井沢においてはその名前の由来は宣教師たちの日常から命名されたものや、ゆかりのある人名だったりと興味をそそられる。
●【サナトリウム・レーン】
大正10年に軽井沢避暑団(現在の軽井沢会)の要請で設立されたサナトリウム。
病院長のニール・ゴードン・マンロー博士の名を借り“マンロー病院”とも呼ばれていたそうだ。
結核に苦しむ患者にとって、高原の清涼感たっぷりの軽井沢は最良の保養地であった。
堀辰雄が入院生活を送っていたところとしても有名で、別名を「ささやきの小径」とも言うが、彼はこのレーンを「アカシアの小径」と称していたらしい。
●【ヴォーリズ・レーン】
軽井沢でも多くの別荘を手掛けた建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの名がついたレーンである。名前は知らなくとも“メンソレータム”はご存知でしょう。それを日本に広めた実業家でもある。
そんな彼の建築物がこのレーンには現存している。
以前、建物の外観が顔のように見えるカワイイ別荘を何気なく撮ったことがあったのだが、まさしくそれがヴォーリズの建てた別荘であった。
大正〜昭和初期〜中期の建築は素晴らしい。実用性の中に適度な遊びが入っている。別荘となるとさらにゆとりが施され、外観からその内部を想像しているだけでもワクワクしてくる。
・関連リンク:軽井沢のささやきの小路[軽井沢]
●【ノーマン・レーン】
明治31年から40年もの間、軽井沢の風紀を保つことに尽力された、宣教師ダニエル・ノーマン氏の別荘があった通りだ。
「軽井沢の村長さん」と呼ばれ慕われていたそうだ。
●【近衛レーン】
戦前、首相を務めたこともある貴族出身の近衛文麿氏の別荘があった通りだ。
彼の写真はちょび髭がチャーミングである。
●【ロストボール・レーン】
軽井沢会テニスコート東側を通る小径で、テニスボールがよく飛び込んできたのでその名がついたそうな。
(今は修復のため外されているかもしれない)
・関連リンク:ロストボールレーン|長野県 旧軽井沢 つるや旅館|軽井沢の老舗旅館
●【浅間隠しレーン】
ヴォーリズ・レーンの先にあるのだが、このレーンからは浅間山が見えないため、この名が付いたらしい。
●終わりに
他にも、犀星の径、堀辰雄の径(フーガの径)、新渡戸通り、鳩山通りなど、著名人の名が付けられた通りが多いことも、天下の避暑地・軽井沢ならではである。
この標示塔の天面にはその名の由来が刻み込まれているので、興味のある方は是非立ち止まって読んでいただきたい。
ただ、それを読むには、タワシを持参して土汚れを拭き取ってから、という作業がもれなく付いてくるので悪しからず。
さぁ!大型連休(GW)はクルマや自転車は使わずに、軽井沢の歴史ある小径を、てくてく巡ってみてはいかがでしょうか。